top of page

​           合格体験記 一橋大学商学部、上智大学経済学部経済学科合格

                 城北高校卒業 N.Y君

           私が窪田塾に入塾したのは高校一年生の冬でした。

 私は当時、学校の選抜クラスに所属し、志望校を一橋大学に決めたところでした。

 しかし、その時点の成績は、到底一橋に受かるとは思えないものでした。

 理由は主に英語力の欠如で、学校の授業についていくことができず、宿題も全くこなす

 

ことができないほどでした。

 特に英語が嫌いというわけでも、努力を怠ったというわけでもないのに、なぜ成績が上

 

がらないのか自分でもよく分かりませんでした。

 そんな時、窪田塾の存在を新聞の折り込みチラシで知り、「家から近い」「先生が東大

 

出身」「学校の宿題も教えてくれる」という理由で入塾を決めました。

 塾では先生との相談の結果、英語の基礎力の強化が必要ということになり、「英単語の

 

級別トレーニング」「SYSTEM英単語」と「高校新演習英語Ⅰ・Ⅱ」で英単語と英文法の

基礎固めを行いました。

 単語や文法の勉強は、先生が関連事項や覚え方も教えてくれたので、効率的に行うこと

 

ができました。

 そのほか、学校の宿題も見てもらいました。

 自宅では何十分考えてもわからない問題がすぐに教えてもらえるので、どんどん勉強が

はかどりました。

 高校二年生になると英語の成績も上がり、学校の授業にもついていけるようになりまし

 

た。

 そうすると、一橋大学が単なる夢や希望の大学ではなく、具体的な目標に変わってきま

 

した。

 それと同時に英語以外の課題も意識するようになってきました。

 そこで、全体的に実力をアップするために塾で数学や国語も指導してもらうようになり

 

ました。

 一橋大学はセンター試験と二次試験の配点比率が1:3と二次試験のウエイトが大きいた

 

め、二次試験の記述問題に重点を置いた学習に変えました。

 数学は主に一橋の過去問演習を行い、国語は「現代文と格闘する」(河合出版)の記述問

 

題に取り組み、先生に添削をお願いしました。

 記述問題の添削は結構難しいと思うのですが、先生はこのようなやり方にも難なく応じ

 

てくれました。

 最近亡くなった西部邁さんの評論「社会科学の落日」を読みつないだ際には、西部邁さ

 

んの経歴や思想の変遷から解説してくれたので、評論文の思想の背景がわかり、よく理解

 

することができました。

 高校三年生になってから受けた模擬テストは、センター型マーク模試ではC ~ D判定、二次

 

試験型記述模試(駿台模試・一橋オープン)ではB ~ C判定が出るようになりました。

 合格可能性は五分五分といったところでしたが、自分を信じて気楽にいきました。

 年が明け、いよいよセンター試験本番。

 先生がプレゼントしてくれた湯島天神のお守りを握りしめて臨みました。

 試験が終わり、自己採点をしてみると、目標点には達せずボーダーライン215点(配点250点)

を9点下回り、206点でした。

 正直「がっくり」して志望校を変更しようかと落ち込みました。

 

 しかし先生が「一橋は二次試験(配点750)が勝負だから、これくらいは挽回するというほど

 

のビハインドでもない。まだまだ可能性はあるぞ。」と言ってくれたので、気を取り直して一

 

橋に出願することにしました。

 自分が二次試験記述式タイプの難問に強いことを先生は思い出させてくれたのです。

 その後は実力をアップするというよりも実力を100%出し切るために体調管理を一番に考

 

え、睡眠をしっかりとって過ごし、「やれることはやってきた」とこれまでの過程を信じまし

 

た。

 私立大は上智に合格しましたが、早稲田・慶應は不合格だったこともあり、一橋大の合格発

 

表までは胃が痛い毎日でしたが、後期日程の横浜国大を受験する可能性があったため、なるべ

 

くポジティブに過ごそうと心掛けました。

 合格発表当日の緊張は言葉では言い表せないほどで、ネットの掲示をスマホで見る時は手の

 

震えが止まりませんでした。

 最後にみなさんも自分の志望校を貫き、それに向かって努力をしてください。

 夢はきっと叶います!

CIMG0796.JPG
bottom of page